佐々成政「極寒のアルプス越え」

佐々成政「極寒のアルプス越え」

富山城主佐々成政は、信長軍中のエリート母衣衆に属するも、小牧・長久手の戦いの折は北畠信雄方について、その運命を狂わせた。秀吉方の前田利家・上杉景勝相手に善戦したものの、信雄単独講和により苦戦を強いられる。そこで家康に援軍を求めようと決意。敵地を踏まずに駿府浜松城までたどり着く方法を思い悩んだ挙句、一五八四年一一月、厳寒のアルプスを越えるという日本登山史上に残る壮挙を決行することになった。同行者の大半が倒れる中、齢四九の成政は見事浜松城まで到着。しかし家康は動かず、成政はほどなく秀吉の軍門に降った。