尼子勝久「一矢報いた新宮党」
尼子晴久は、毛利元就の謀略により、自ら尼子軍最強の戦闘集団、新宮党を抹殺した。勝久は、新宮党党首、国久(晴久の叔父)の嫡男誠久の末子である。新宮党滅亡の時、二歳であった彼は、乳母の夫が懐中に隠し、落ち延びた。備後で出家し成長したが、尼子滅亡とともに、京の東福寺で僧になっていたのである。尼子再興を目指す者に担ぎ出され、出雲では一時誰もが尼子家復興を信じた。信長の毛利征伐に利用され、結果、戦いは毛利側の勝利に終わったが、新宮党の生き残りが、毛利に一矢報いたのだと考えたい。