井伊直政「赤備えの宿命」

井伊直政「赤備えの宿命」

直政は一五歳で家康に使え、その寵童となった。それゆえか彼は常に先陣を切り、体には生傷が絶えなかった。武田家滅亡後、旧武田領を引き継いだ家康は、山県昌景率いた「赤備え」を直政に与えた。武装を赤一色に染めたこの部隊は、先陣を務める宿命を背負う。関が原でも直政は家康の四男松平忠吉の介添えとして赤備えを率い、先陣を走った。しかし島津隊を追撃する最中、右腕に銃創を負ってしまう。本陣に帰参し、忠吉の活躍を褒める直政に、家康は直政の介添えぶりを称え、手ずから薬を傷口に塗ったという。