斎藤義龍「親子の相克」

斎藤義龍「親子の相克」

斎藤義龍の母は土岐頼芸の元愛妾だったが、義龍は、彼女が道三の妻になった後に生まれたという。義龍の父は道三か頼芸か。それが親子の確執の発端だったが、いずれにしても道三は義龍が気に入らなかった。国内の安定のため、義龍に家督は譲ったが、いずれは弟に継がせる気だったようで、義龍としては「蝮」の謀略に対し切迫感を持つようになり、一五五五年、道三討伐を掲げ挙兵したのであった。