織田信秀「器用の仁」

織田信秀「器用の仁」

信秀は内乱外征の忙しい中でも、政治的、文化的な中央との繋がりは怠らなかった。京から山科言継などを招いて粋にもてなし、連歌会、茶会、蹴鞠大会を開催。朝廷にも多額の寄付を重ねている。武勇にはもちろん優れていたが、自力で大名にのし上がったにも関らず「器用の仁」と呼ばれた。