九鬼嘉隆「謎の鉄甲船」
熊野十三水軍でも中堅以下といわれていた九鬼氏だが、長島一向一揆戦で織田水軍の要となった。この時、九鬼氏が率いたのは安宅船という軍事用の大型船で、当時の水軍がいずれも小船中心に編成されていたことを考えると、異色の存在である。石山合戦下の一五七六年、毛利水軍の機動性に完敗しているにもかかわらず、さらに船を大きくすることによって打開を試みたのか、全長二十米余の鉄甲船を建造。一五七八年の木津川口海戦では雪辱を果たした。しかし、この鉄甲船、どうやって動かしたかは未だに謎に包まれている。