村井貞勝「民政に通じた重臣」

村井貞勝「民政に通じた重臣」

足利義昭追放後、貞勝は天下所司代に任じられ、禁裏の修築造営を盛んにやりつつ、公家同士の争いには処罰を断行。朝廷・公家・寺社関係を見事に支配した。兵の民家寄宿を禁止。「京枡」村井枡」といわれる彼の署名入りの枡を考案し、流通を統一管理。橋、街路、寺社の復興。南蛮寺建設にも積極的に協力するなど、その事績は数知れない。京都の民心を掴み、見事にその役目を務めた。