角隈石宗「軍師の死に様」

角隈石宗「軍師の死に様」

大友宗麟の軍師を務めた角隈石宗は、小笠原流や武田流などの軍学に通じており、かの立花道雪も石宗の弟子であった。大友氏の日向遠征時、厄年である宗麟に出陣延期を提言したが、拒否された。そのうえ戦場では、田北鎮周が石宗の助言を聞き入れず、また、田原親賢は四万五千に及ぶ軍勢を統率することすらできない。呆れ返る石宗であったが、それでも自らの忠誠心に殉じて、「秘伝の書」を焼いてから出陣し、戦死した。